19/1/10 ふるさと教室 考古学 多賀山地の石を使った縄文人。
中泉雄太先生。  茨城県日立市。  < >はhp制作者のメモ。

■縄文時代とは。
縄文時代とは、日本列島で土器作りがはじまった約1万5000年前から、稲作がはじまる約2300年前まで。
温暖化した気候。木の実などのとれる落葉広葉樹。<クヌギ・コナラ・トチノキ・・・>

<●7万年前、世界的に寒冷化。1万5000年以降。温暖化。
氷河期だった時期。現在よりも海面が低かった。ユーラシア大陸と陸続きだった??
大型獣 マンモス、ナウマンゾウ等を追ってきた人がいた?
シベリア沿海州から北海道・朝鮮半島から九州・小笠原諸島から本州・台湾から??
●大型獣が徐々に姿を消す。食糧獲得方法が変化。
土器の使用や、定住生活という旧石器時代とは異なる縄文文化が出現。
縄文時代の初めは気候が不安定。寒い時期が続く、徐々に安定。
7000年前から5000年前は、ヒプシサーマル(気候最適期)。
縄文時代の全盛期。海面が現在よりも数m高かった。
●縄文海進。約6,500年前-約6,000年前の海水面の上昇。
ピーク時の海面は現在より数m高い。気候は現在より温暖・湿潤。
●関東平野の一部や名古屋周辺、大阪府の辺りが水没。
貝塚が内陸で見つかるのは今とは地形が違うため。
●4000年前。寒冷化が徐々に始まる。縄文時代の繁栄に陰り。
少しずつ東から西へ人口移動が始まる。
●縄文晩期直前の紀元前1159年。
アイスランドにあるヘクラ火山の大噴火。世界的に急激な寒冷化。
中国大陸、黄河中下流域から南部に人々が移動。
海を渡り移動するひとも?? 日本列島にもくる??
日本列島に着いた渡来人は稲作や金属器の技術あり。
寒冷化で食べ物が減少。渡来人の稲作へ。弥生時代へ移行>

●縄文海進。
気候の温暖化が進む。約6500〜5500年前。海水が内陸に進入。
水位は現在より約6m高かった。

●縄文時代の画期的な発明。土器の出現。
縄文土器。縄文時代につくられた土器の総称。
600〜800℃程度焼かれた暗褐色・軟質の土器。
日本最古の焼き物。日本列島全体に分布。縄文文様・すべてにあるわけでない。
時期・地域により形・文様が異なる。煮炊きができるようになった。

■縄文時代の生活。衣・食・住。
●縄文時代の衣服。
布には編布(あんぎん)がある。カラムシ等の茎の表皮から糸を作り簾のように編んだ。
頭からかぶる着物が考えられる。
<「常陸国風土記」によると、静神社付近では、古くから倭文織(しずおり)を織る人の集落があったとされる。
倭文織、糸の素材になる植物は楮(こうぞ)、麻、カラムシなど>

●縄文人の華やかな装い。
髪 かんざし。耳 ピアス・イヤリング。首・腰 ネックレス等の垂飾り。
手 ブレスレット。

●縄文人は何を食べていたのか?
貝塚からは貝殻・イカ・イノシシなどの獣類・魚類・鳥類の骨がみつかる。

●縄文人はどのような家に住んでいたのか?
竪穴式住居。地面を掘りくぼめ床とする。屋根をかけた半地下式の住居。
屋内に炉を置き火を焚いた。食料を焼いた・土器を使って煮炊きをした。
住居は夏涼しく・冬暖かい利点があった。湿気が多い欠点があった。

■縄文時代の石の道具。
縄文時代、金属の道具がなかった。狩猟・漁撈・採集に石器は大切な道具だった。

●狩猟に使われた石器。石鏃。せきぞく。
狩猟する対象は小型・中型動物だった。<石器時代の大型動物は減少した>
矢の先に石鏃をつけた弓矢が登場。ウサギなどの敏捷な小動物も狩猟が可能になった。

●漁撈ぎょろうに使われた石器。石錘せきすい。
貝塚から、骨角製の釣り針・銛が多数みつかる。石錘は、漁網の錘として使われた。

●採集した木の実などを調理する石器。
木の実は多く食された。
調理するため。堅い木の実を割る敲き石・凹石。すり潰し製粉するための石皿・磨石。

●縄文時代の植物利用。
クリ・クルミが大量に利用された。
クリは、食用の他、木材は柱・杭・土木用材に利用。枝は燃料。

●土木の道具に使われた石斧せきふ。
大地の採削・木材の伐採・加工に石斧が作られた。

●打製石斧と摩製石斧。
打製石斧 岩石を打ち砕いて作ったもの。
摩製石斧 岩石を打ち砕いた後研磨して作ったもの。
打製石斧と摩製石斧ともに、木製の柄に装着して使用した。
刃を研ぐための砥石もある。

●土掘り具として使われた打製石斧。
現在のスコップのような土掘り具として、
住居などの施設の採削 ・ヤマイモ堀などの食料採集に使われた。

●樹木の伐採・加工に使われた摩製石斧。
樹木の伐採や枝払い・木材の加工・丸木舟の製作。

●摩製石斧のムラ。
摩製石斧を製作し、周辺地域に流通させたムラがあった。

●摩製石斧製の製作工程。
原石 →剥離工程 →敲打工程 →研磨工程 →完成。

●摩製石斧の柄について。
斧柄の種類・装着方法はさまざま。
斧柄の形は、棒状のまっすぐな直柄と一部が短く屈曲する膝柄がある。

●縦斧と横斧。
縦斧 柄に対して刃をほぼ平行に装着。伐採に使用。
横斧 柄に対して刃を直交するように装着。加工に使用。

●縦斧・横斧の装着痕。
縦斧・横斧の装着したあとがみられる。<装着したところは白っぽく見える>

●伐採における横斧と縦斧の違い。
横斧 縦方向に振り下ろす。縦斧 横方向に振る。
木の伐採される位置は横斧が高くなる。森の密度や藪や下草の有無で使い分けた。
横斧は密林や藪の中の伐採に適している。太い木を切ることは困難。

●縦斧と横斧の切り口。
横斧 切り口にささくれができる。縦斧 円錐状の切り口になる。。

■日本における石斧の歴史。
●旧石器時代の摩製石斧。
3万年前。旧石器時代、日本列島で石斧が使われだした。
石器の一部が磨かれたもの。局部摩製石斧、刃部摩製石斧。

●縄文時代の摩製石斧。
縄文時代初め 局部摩製石斧。縄文時代前期以降 石器の前面を研磨した石器。

●弥生時代の摩製石斧。
太型蛤刃石斧・柱状片刃石斧・扁平片刃石斧。
伐採用と加工用の斧の使い分けが明確になる。
鉄斧の出現により、石斧は徐々に使われなくなる。古墳時代は使われていない。

●横斧から縦斧へ。
旧石器時代から縄文時代の初め頃 横斧多く使われた。
縄文時代前期以降 縦斧が多く使われた。

●墓から発見された摩製石斧。
富山県小竹貝塚の磨製石器。
男性人骨とともに、大きさの異なる石斧セットと砥石がみつかっている。

●死者に添えられた石斧。
埋葬されたひとは木工技術に長けたひと?

●土器に内蔵された摩製石斧。
東京都武蔵野台遺跡。瓢箪形の土器に磨製石斧6点が内蔵。
埼玉県塚越向山遺跡。注口土器に、磨製石斧10点・黒曜石塊3点・黒曜石剥片14点・チャート剥片3点が内蔵。
注口土器は住居の炉の中に置かれていた。

■摩製石斧の石材をみてみよう。
●なぜ石材を鑑定したのか。
用途により石材は異なっていた? どのような石材が好まれた?
産出地は? 入手できるのか?  磨製石器を対象に調べた。

●日立市の地形と遺跡。
沿岸部 標高20〜60mの海岸台地が帯状に広がる。
西側 多賀山地が南北に走る。市南端 久慈川低地。
遺跡は多賀山地東麓の丘陵部から海岸台地の範囲に多く立地。

●摩製石斧が出土した日立市内の遺跡。
28遺跡・159点出土。市内の広範囲にわたり出土。
<縄文時代に日立市内に住んでいたひとは200人くらい?>

●摩製石斧はどこから発見されたのか。
遺構外51%・土坑22%・竪穴住居8%・その他。

●摩製石斧に使われた石材の種類。
25種類。
出土数。角閃岩29・蛇紋岩24・安山岩19・角閃岩片麻岩10・・・。

●石材の産出地を推定した結果。
多賀山地系 67%・久慈山地系20%他。

●多賀山地の地層と岩石。
日立古生層。変成岩が多い。磨製石斧はこの変成岩を石材としている。

●多賀山地の石を使用した縄文人。
河川流域・海岸を入手し磨製石斧の石材とした?

●角閃岩。
カンブリア紀に形成された赤沢層から産出。鮎川上流域・東連津川流域で採集できる。

●角閃石片麻岩。
カンブリア紀に形成された玉簾層から産出。

●蛇紋岩。
常陸太田市町屋・入四間町から東河内町にかけての地域に産出。
緻密で軟らかく加工しやすい。

<安山岩は、赤沢層の変成安山岩 赤沢層の安山岩質溶岩を石材とした?>

■まとめ。
磨製石斧には多くの岩石が使われている。岩石の多くは多賀山地から産出。

■遠隔地から持ち込まれた石器。
上内遺跡で翡翠の大珠が出土。産出は新潟県姫川流域と考えられる。遠くから運ばれた?

<縄文時代は1万3000年くらいある。西暦2000年の6倍もの長さ。
ひとことで縄文時代と表現することはちょっと違和感を感じる。
今回のはなしはおもに、7000年前から5000年前のときのはなしのように感じた>