19/2/3 第14回 茨城大学人文社会学科部 地域史シンポジウム。
茨城における戦争の記憶とその継承。  茨城県水戸市。  < >はhp制作者メモ。
茨城大学人文社会学科部 地域史シンポジウムに初めて参加。大変よかった。
関係された皆さまに感謝いたします。ありがとうございました。

■基調講演 地域における戦争体験−多様性とその継承について。 慶応義塾大学 柳沢遊先生。
戦争体験認識は世代により異なる。
戦争体験認識の分断化・断片化・自分にとっては無関係の感覚・・・どのようにむきあうか。
●敗戦直後の戦争体験−多様なくくり抜け方−。
地域によって異なる・・・。

●1950年代の戦争体験とその記録化−学校教師と母親たち。
・戦争体験の記録運動。
・サークル運動における戦争体験継承。
●1970〜80年代の「戦争体験意識」と平和意識。
・「反戦」意識の高まりの時代−1966〜73年。
・戦争体験世代の小数化の中の「戦争体験」−苦悩する教師たち。
・「戦争の潮騒」にみるリアリズム。
・気仙沼市の戦争体験記録の刊行。
・遺族会の試みとその伝承−2000年代の事例−。

■北茨城における風船爆弾(陸軍)と特攻艇「震洋」(海軍)について。 郷土史研究家 丹賢一先生。
●北茨城に風船爆弾基地(陸軍)と特攻艇「震洋」基地(海軍)があった。
地域住民は、基地建設の土木工事・機材搬送・食料調達に協力。
軍人宿舎のため強制移住。
●風船爆弾とその仕掛け。
・ケイ素鉄粉砕工場跡。
・爆発事故墓碑。
・水素ガスタンク台跡。
・わすれじ平和の碑。
「海のかなた 大空のかなたへ 消えて行った 青い気球よ
あれは幻か 今はもう 呪いと殺意の 武器はいらない 青い気球よさようなら さようなら戦争」

●第141特攻艇「震洋」。
連合軍の日本本土上陸作戦に備え、平潟港に特攻艇「震洋」が設営された。
特攻隊員50名。基地隊・整備隊総勢167名。
平潟本町地区の住民は関本村などに移住。家は将校などの宿舎。
特攻隊員は、平潟国民学校が宿舎。
特攻出撃はなかった。
・震洋艇収納洞窟。平潟港右岸初鳥山。
・平潟忠魂碑。平潟港左岸平潟八幡宮。
・第141震洋隊・炊事班使用の建物。
・監視塔と長浜海岸。


■朝鮮人戦争犠牲者の慰霊活動について−日立鉱山跡地を辿る。 茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊塔管理委員会 張泳祚先生。
●日立鉱山と朝鮮人。
1940〜45年までに約4,000人が連行されてきた。
●平和台霊園墓碑。
・・・日立鉱山では、過酷な労働条件の下、事故や虐待、過労等で多数の尊い命が失われ、
懐かしい父母兄弟や愛する妻子との再会も虚しく、異国の土と化し、その遺骨すら無縁仏のまま捨て置かれた。・・・。

●慰霊活動(フィールドワーク)について。
年間150人以上が参加。

●茨城県朝鮮人慰霊塔における在日コリアンと日本友人による共同慰霊祭。
●不幸な歴史を繰り返さない。歴史の事実を風化させない。
平和な時代を築いてゆく。受難の歴史を後世に永く語る。歴史のなかに未来がある。

■戦跡の活用と戦争の記憶の継承について。 筑波海軍航空隊記念館 金澤大介先生。
●全国に広がる戦跡のミュージアム活用。
●戦争を「観光」にする是非。
●失われつつある戦争の記憶。
●戦争記念館の目標数値。
●映画タイアップ、サブカル・・・。筑波海軍航空隊記念館の事例。
●ダークツーリズムとは。

■茨城県内における戦争モニュメント調査報告。茨城大学人文社会学科部日本近現代史ゼミ。
●調査概要。
1930〜2000年に建てられた忠魂碑・慰霊碑・平和碑の調査。
調査範囲は茨城県内。調査数403点。
●名称と碑文の変化。
●設置主体の変化。
●戦争観の変化。

<忠魂碑・慰霊碑をモニュメントとしたタイトルに違和感がある。
忠魂碑・慰霊碑は、モニュメントなのか。忠魂碑・慰霊碑ではだめなのか。
世代が違うからか。
400点もの石碑があり大変に驚いたとの説明。
私には400点という数字は小さく思える。
神社・寺などを巡っていると忠魂碑・慰霊碑はよく見かける>

■全体討論へと続いたが不参加。