19/4/24 水戸・歴史に学ぶ会。水戸八景めぐり。 案内。仲田昭一先生。[ ]はhp制作者メモ。
[水戸駅南口。徒歩で集合場所の常磐神社へ]

[桜川]



[千波湖]



[千波湖]

[大日本史完成の地。偕楽園]

[常磐神社]

●仙湖暮雪せんこのぼせつ。
斉昭漢詩。雪時嘗かつて賞す仙湖の景。
[斉昭和歌。千重の波 よりてはつづく山々を こすかとぞ見る 雪の夕ぐれ]
所在地。水戸市常磐町。偕楽園内。
石碑の岩石。[硬質凝灰岩?]
古典文字。「暮」。





●青柳夜雨あおやぎのやう。
斉昭漢詩。雨夜更に遊ぶ青柳の頭ほとり。
[斉昭和歌。夜さめに 小舟くだせば 夏陰の柳をわたる 風のすずしさ]
所在地。水戸市青柳町。那珂川の万代よろずよ橋近く。
石碑の岩石。[硬質砂岩?]
古典文字。「夜」。

石碑を横から見ると面白い形をしている。[手前は太いシダレヤナギ?の幹。樹齢何年?]

[堤ができて景色がかわった。当時は川には渡しがあり柳がありひとつの絵になっていた。と思われる]



●太田落雁おおたのらくがん。
斉昭漢詩。大田の落雁芳洲を渡る。
[斉昭和歌。さして行く 越路の雁の 越えかねて  太田の面おもに しはしやすらふ]
所在地。常陸太田市栄町。鯨ケ岡。
石碑の岩石。[花崗岩?]
古典文字。「太」。
石碑の前面には真弓千石とよばれた水田地帯が広がっていた。

近くにある現在の専売公社跡地は、以前は太田御殿があった。佐竹氏の御殿だった。



鯨ケ岡には美味しい水の出る井戸が7つあった。現在も水神さまとしてまつられている井戸がある。

●山寺晩鐘やまでらのばんしょう。
斉昭漢詩。山寺の晩鐘幽壑ゆうがくに響き。
[斉昭和歌。つくづくと 聞につけても 山寺の  霜夜の鐘の 音そ淋しき]
所在地。常陸太田市稲木。
石碑の岩石。寒水石。
古典文字。「山」。



[石碑を囲むように岩石が10個あったように思った。が、写真では9個にみえる・・・。町屋石? 何か意味があるのか? 不明。囲いか??]



●昼食。
西山壮近くで食事。
●村松晴嵐むらまつのせいらん。
斉昭漢詩。遥はるかに望む村松晴嵐の後。
[斉昭和歌。真砂地に 雪の波かと みるまでに  塩霧はれて 吹く嵐かな]。
所在地。東海村村松村松虚空蔵尊裏手。
石碑の岩石。[硬質砂岩]
古典文字。「村」。
[晴嵐の嵐。この付近はチヂランプウ伝説があるくらい。砂丘であり。砂の嵐がまっていたのではと想像した]



●水門帰帆みなとのきはん。
斉昭漢詩。水門みなとの帰帆高楼に映ず。
[斉昭和歌。雲のさかひ しられぬ沖に 真帆上げて  みなとの方に よするつり舟]
所在地。ひたちなか市和田町。ひたちなか市役所那珂湊支所近く。
石碑の岩石。寒水石。
古典文字。「帆」。
2つ副碑がある。1901年の水門帰帆修繕之碑。1938年建碑の藤田東湖の七言絶句。
[「遠望誰弁鳥邪雲・但見霏凝映落暉・一陣東風水門夕・吹成千片布帆帰」。
遠望誰か弁ぜん鳥か雲か 但見る霏凝落暉ひびらくきに映ず 
一陣の東風水門みなとの夕ゆうべ 吹き成し千片布帆ふはん帰る]
幕末は外国船対策のための海防の場所だった。





●巌船夕照いわふねのゆうしょう。
斉昭漢詩。霞光爛漫かこうらんまんたり岩舟の夕ゆうべ。
[斉昭和歌。筑波山 あなたはくれて 岩船に  日影ぞ残る 岸のもみぢ葉]
所在地。大洗町祝町。かんぽの宿近く。願入寺裏手。
石碑の岩石。[花崗岩?]
古典文字。「夕」。
那珂川と涸沼川が合流する所。





●広浦秋月ひろうらのしゅうげつ。
斉昭漢詩。月色玲瓏(れいろう)たり広浦の秋。
[斉昭和歌。大空の かげをうつして ひろ浦の なみ間をわたる 月ぞさやけき]
所在地。茨城町下石崎。涸沼のほとり。
石碑の岩石。[粘板岩?]
古典文字。「月」の字。
天候がよければ筑波山がみえる。とのこと。
[碑の左は寒水石の保勝碑。選定の経緯が刻されている]





常磐神社で解散。

●漢詩「水戸八景」の読み下し
雪時嘗かつて賞す仙湖の景 雨夜更に遊ぶ青柳の頭ほとり 山寺の晩鐘幽壑ゆうがくに響き
大田の落雁芳洲を渡る 霞光爛漫かこうらんまんたり岩舟の夕ゆうべ 月色玲瓏れいろうたり広浦の秋
遥はるかに望む村松晴嵐の後 水門みなとの帰帆高楼こうろうに映ず



かつて水戸藩士は、約100km以上のところを歩いて訪ね身心を鍛えたという。