熊谷寺  くまがいじ   2008/09/05  和歌山県伊都郡高野町高野山501  葛原親王の願いにより、837年に建立。元知識院と称した。真隆阿闍梨が初代住職。1184年、一の谷における源平の合戦に敗れた平家方の将兵は友軍の軍船に逃れた。この時、遠浅の海に駒を乗り入れた武将を呼び返した。熊谷直実は、格闘数合、組敷いて首級をあげようとした。よく見ると、我が子と同年輩、平家大将経盛の末子、敦盛だった。敦盛の首を斬るに忍びず、躊躇したが、心を鬼にして首を掻き斬った。直実は、世の無常を感じる。法然上人の弟子となり「法力房蓮生」の名を与えられる。1190年、敦盛7回忌の法要。法然上人の指示により高野山に登る。敦盛の位牌および石塔を建立、敦盛の菩提を祈る。14年間、山に留まり念仏に専心。1201年、源平両氏の戦死者大追悼会が高野山で実施される。法然上人、親鸞聖人、関白兼実が共に登山。当寺にとどまる。1208年、蓮生法師往生。直家は亡父の遺命により登山。当寺の堂宇を改造修築。将軍実朝、蓮生房の詠んだ「約束の念仏」の歌と、「熊谷寺」の扁額を寄進。以降、「熊谷寺」と改称。1264年、親鸞上人の3回忌。覚信尼は、上人遺命にて臨終の名号と遺骨、母玉日の前の木像を納める。1888年、焼失。その後、再建。(熊谷寺ホームページより)