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山鹿素行誕生の地  直江兼続屋敷跡 やまがそこうたんじょうのち  なおえかねつぐやしきあと   2009/02/22  福島県会津若松市山鹿町1-25  
山鹿素行誕生の地  山鹿流兵学をおしえ、赤穂四十七士の生みの親。1662年、町野左近の邸内に生まれた。会津藩主は、蒲生忠郷。ここは、武家屋敷が多く並んでいた。素行は、父が伊勢亀山から会津に来た年に生まれた。6歳の時、父に従い江戸に出る。9歳で林羅山の門に入る。儒学・国学・新道・兵学をきわめる。兵学では、山鹿流の一派をなした。1926年、東郷平八郎の書により、碑が建立された。(案内板より)

直江兼続屋敷跡でもある。この場所は城に近く、「本一之丁」と「大町通り」が交差する場所。蒲生氏郷による町割以後、ここは重臣の屋敷がおかれた。1598年、越後から会津に上杉景勝は移ってきた。上杉家筆頭家臣、直江兼続の屋敷に、ここを与えた。兼続は、景勝から信頼を受け、米沢領(約6万石)の支配を任された。1600年、景勝が神指原に新城を築こうとした。兼続は、普請奉行としてその指揮にあたった。関ヶ原の合戦で、徳川家康が勝利し、上杉家は敵側として米沢30万石に減封された。(案内板より)

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